「理屈と膏薬(こうやく)はどこにでもつく」というが、つかない理屈もある。国旗、国歌をめぐり、教師の公務と生徒や保護者の内心の自由を、意図的に混同した論議がそれだ◆広島県立高校の校長が国旗、国歌をめぐる教員との対立から自殺したのをきっかけに一九九九年、国旗国歌法が制定された。その際、卒業式などで、生徒に国歌を無理やり歌わせる「強制」は避けるべきだ、とされた◆国旗国歌を尊重する態度を生徒に育てるのは、教育上の「指導」に属する事柄、との判断からだった。指導する側の教師には、もちろん、国歌斉唱時の起立などは職務上の責務とされた◆それなのに卒業式で起立しなかった教師への東京都教委の処分を、生徒への強制と同一視し、批判する人たちがいる。元々「日の丸、君が代は、日本の侵略戦争と結びついている」として、法制化に反対した人たちだ◆高校野球の開会式で、国歌斉唱で起立しなかった観客も退場を求められることはない、などと屁(へ)理屈をこねる。観客が退場させられないのは卒業式で起立しない生徒や保護者が処罰されないのと同じだ。だが大会役員が国旗に背を向けることは許されない。教師も、同様だ◆「提灯(ちょうちん)に釣り鐘」は、似て非なるものを指す。生徒と教師は非なるものどころではない。すり替えの論議には付き合えない。
(2004/4/4/01:34 読売新聞 無断転載禁止)