■《天声人語》
アメリカの先住民族は、よくこんなふうに言うそうだ。「ミタケ・オアシン」。すべては、かかわり合っているという意味だ(『アメリカ・インディアンの書物よりも賢い言葉』扶桑社)。
小泉首相の靖国神社参拝に福岡地裁が違憲判決、と聞いて、この言葉が思い浮かんだ。ずいぶん離れた世界の言葉なのに、なぜなのか。格言を見ながら考えた。
〈どんなことも 7世代先まで考えて 決めなければならない――イロコイ族の格言〉。30年を一世代とすれば約200年。なかなかできることではないが、国家百年の計を求められる首相なら心がけているとしても不思議ではない。3年前に大阪で同様の訴訟を提訴された時こう述べた。「世の中おかしい人たちがいるもんだ。もう話にならんよ」。残念ながら、この軽々しさからは、ずっと先を見ているとは思いがたい。
〈ひとは 山と蟻(あり)の中間だ――オノンダガ族の格言〉。自然や生き物の中への、人間の置き方が興味深い。昨日小泉さんは「私は私人であり公人だ」と述べた。裁判では、国は「私的な参拝」と主張した。一国の首相の位置があいまいだ。
〈目で判断せずに、こころで判断しろ――シャイアン族の格言〉。想像することの大切さを言っているのだろう。小泉さんは「なぜ憲法違反か、わからない」と強く反発し、参拝を続ける考えを示した。心持ちは想像できるが、ここは、立ち止まって考えてほしい。
首相のすることは、国民だけではなく、世界の人々ともかかわり合っている。「ミタケ・オアシン」なのである。
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