■出版禁止――警鐘はわかるけれど
田中真紀子前外相の長女の私生活に関する記事を載せた週刊文春の3月25日号に対し、東京地裁が出版を禁止する仮処分命令を出した。
裁判所の決定を受け、文芸春秋は手元に残っていた約3万部の出荷を取りやめたが、70万部以上がすでに出荷済みで、そのかなりの部分が販売された。
有名な政治家の家族に生まれたというだけで、どうして子どもの私生活まで書き立てられるのか。ニュースに接して、そんな思いを抱いた人も多いだろう。
不正を暴き、社会的な問題を提起しようとする週刊誌の記事はある。今回はそうしたものとは違い、個人の私生活を暴き立てようとしただけだ。政治家の利権やカネといった問題とも無関係である。雑誌を売るために、公人でもない一個人に痛みを強いる記事には公共性は感じられない。
文芸春秋は裁判所の決定に対し、「言論の制約を意味する暴挙」との談話を出した。私人のプライバシーを興味本位で暴きながら、表現の自由をその正当化に使っているのである。それが、表現の自由の価値を結果的におとしめていく態度であることに気づかないのだろうか。
売れさえすれば、書かれる側のプライバシーなどお構いなし。今回の決定はそうしたことがまかり通っていることへの警鐘でもあるだろう。
だが、指摘しておきたいのは、問題とされた週刊文春の記事の正当性と出版差し止めの是非とは別であることだ。
個人のプライバシーを保護するためであっても、裁判所による出版禁止という方法が適切で、避けられないものだったかということである。
社会にかかわり、物事を判断しながら生きていくには、様々な情報に接し、価値観の異なる多様な考えが社会の中に存在することを知るのが欠かせない。こうした情報の自由な流通に公権力が介入することには、くれぐれも慎重であらねばならない。憲法で表現の自由が保障され、検閲が禁じられているのもそのためだ。
裁判所も公権力の一つである。検閲とは異なるとはいえ、もしも記事が世に出る前に出版を禁じるという動きが広がっていけば、知る権利にこたえようとする報道すら、規制の対象になりかねない。
もちろん、表現の自由と私人のプライバシーの権利の兼ね合いは難しい問題だ。だからこそ、判例も裁判所による出版差し止めには厳格な縛りをかけ、公表した場合に取り返しのつかない損害を与えるような例外的な場合にしか許されないという立場をとってきたのだ。今回の決定はこれまでの判例を大きく踏みはずすものである。
そんな事態を招き公権力介入の口実を与えた週刊文春には改めて反省を求めたい。表現の自由を大事にすることは、雑誌であれ新聞であれ、メディアの仕事である。
■国旗国歌――大人がムキになる愚
卒業式と入学式の季節がやってきた。思い出を胸に刻んで旅立ち、新たな出発をする節目の行事である。
ところが、この時期になると、決まってうっとうしいことが起こる。日の丸掲揚と君が代斉唱を徹底させようという動きが年ごとに強まっているからだ。
突出しているのが東京都教育委員会だ。卒業式や入学式で日の丸に向かって起立せず、君が代を歌わない生徒の多い学校を特別に調査する方針を決めた。担任らの日頃の言動を調べ、生徒の行動に影響を与えたと判断すれば、教師を処分する。
さすがに生徒を処分することまでは考えていないようだが、生徒には「先生に迷惑をかけたくない」という心理的な圧迫がかかるだろう。
国旗を掲げ国歌を歌わせるのに、そんなことまでする必要があるのだろうか。どう考えても、都教委のやり方はいきすぎだ。
もともと都教委は昨年10月、こと細かな通達を学校に出している。
国旗は舞台の壇上正面に掲げる。司会者が国歌斉唱と発声し、起立をうながす。教職員は指定された席で、国旗に向かって起立し、斉唱する。そうした内容を徹底させるために、都教委の職員を監視役として学校に派遣している。
卒業式や入学式は本来、生徒たちのためにあるはずだ。日の丸に向かって起立することに抵抗感を持つ生徒もいるだろうし、君が代の歌詞に違和感を持つ生徒もいるだろう。教師や仲間と議論し、自分の判断で、立たなかったり歌わなかったりするならば、それはそれでいいではないか。
学校や生徒の自主性を生かそうという教育改革が進められてきた。国旗と国歌に限って、なにがなんでも一律の方針を押しつけるのは自己矛盾というものだろう。
国旗・国歌法が成立したのは5年前だ。その際、政府は「国として強制や義務化をすることはない」と説明していた。
しかし、文部科学省は学習指導要領に基づき、国旗掲揚・国歌斉唱を徹底するよう求め、毎年、実際に学校で実施されたかどうかを調べている。各地の教育委員会も処分を掲げて締めつけを強めた。もはや強制しているとしかいいようがない。
その結果、全国ほとんどの公立小中高校で日の丸が掲げられ、君が代が歌われるようになった。
それでも満足できない。きちんと国旗を掲げ、全員に歌わせなければならない。そうしたことが次の目標になっているのだ。
だが、むりやり起立させ、歌わせても国旗や国歌への理解が深まるわけでない。
サッカー場で日本代表を応援する人たちが日の丸を振り、君が代を歌う。そうしたことが国旗や国歌の自然なあり方だ。
卒業式や入学式は子どもたちにとって大切な思い出になる。大人たちが不毛な対立を持ち込むのはもうやめにしたい。
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