-TAKAO−SP

たかお・サンパウロ

開設2周年 更新 2006-01-01 

ホーム|福祉施設|療育音楽|劇団新波|コンピュータ|日本食|大志万学院|スナップ|リンク|TAKAO-SP

TAKAO-SP (たかお・サンパウロ)は、極めて私的な立場で作ったホームページです。

発信者: たかお やたろう & たかお もみぢ                   E-mail : takao@nethall.com.br

CEP 04159-000   Rua Nossa Senhora da Saúde, 211  Jardim da Saúde - São Paulo - SP   Brasil

 

たかお・サンパウロ 雑記帖 2005年 3月 26日

 

 

6月19日(月) 「たかお・サンパウロ」 最近の変更

ご覧になった方に使っていただく 「たかお・サンパウロ」宛のメールアドレスを変更しました。迷惑メールやウィルス付メールが多くて困るためです。
「たかお」個人宛のメールには、従来のアドレスをそのままお使いください。

たかお・サンパウロ」を見易く、使い易く、更新をし易くするために、一部を「フレーム構造」に変更しています。すでに変えたものは次の通りです。ご覧になって、何かお気付きのことがあればお知らせください。

新聞社説 表題一覧 「たかお・サンパウロ」について
「保存している記事」 「コンピュータ  --  あらかると」

 

 

6月18日(日) 「blog TAKAO−SP」を開 きました。

http://blog.goo.ne.jp/takao-sp/

4日前に「blog たかお・サンパウロ」を開きましたが blog を使うのは初めてなので、「blog用語」のいろはから、作り方や作った後の使い方の説明をいちいち確認しながら使っています。

blog には、blog相互でリンクし合う機能があって、その確認をしてみるためにもう一つ自分の blog を開設することにしました。 ある程度 blog のことが分かったら、二つの blog にそれぞれの「はたらき」を振り分けて、併行して使っていこうかと思います。当面は、双方ともテスト段階として続けます。

 

6月16日(金) サンパウロ州立交響楽団の演奏会に行きました

今夜は、ベートーベンの ピアノ協奏曲第3番  と 交響曲第3番 「英雄」
指揮は オスモ・ヴァンスカ Osmo Vanska、 ピアノが アンティ・シーララ Antti Siirala。いずれも フィンランド生まれで、サンパウロ交響楽団との競演は初めてです。会場は、満員でした。(アンティ・シーララの演奏会が9月に埼玉であるそうです。)

今年の演奏会プログラム(ポルトガル語)を作りました。1コース8〜9回の年間予約コースがあって、このプログラムに淡緑と空色で示した2つのコース(16回)を予約しました。学生、身障者、60歳以上の高齢者は半額で、1コースが約15,000円です。

  

 

6月15日(木) blog たかお・サンパウロ」を開設しました。

http://takaosp.exblog.jp/

ホームページ 「たかお・サンパウロ」 の更新や新しいページを作る前の 「資料」 「覚書き」 「下書き」として blog の利用を考えていましたが、昨日、思い立ってブログサービスを探し、「エキサイトブログ」に決めてすぐに登録して作ってみました。blogを使うのは初めてなので、まだ、どのように使うのかよく分からないし、どのようなものになるか見当もつきません。でも、始めることにしました

この「雑記帖」とは微妙な関係?

blog は編集の自由度が小さいために、それだけホームページを更新するよりも手軽に使えます。「雑記帖 」や他のページに載せたいたものを、まず blog に書き込み公開します。これが ホームページの 「断片」 となって、後でホームページの編集に使 うことになります。

blog では表現できなくて、先にホームページで公開するものがあります。ホームページで先に出したものを blog でお知らせすることができますblog ではホームページの更新経過を書き残すことになります。

試しに blog 14日付けの2件をコピーしてみます。


2006-06-14 さんまの塩焼き

 
久しぶりでさんまを焼きました。おいしかった!
付け合せは ほうれん草のバター炒め。それと白菜漬、にらの味噌汁。
さんまは輸入品です。もともと街に魚屋さんはほとんどありません。リベルダーデ東洋人街に日本人の馴染みの魚屋さんがあって、店頭には出ていませんが聞けば冷凍庫から出してくれます。値段は 1尾(約160g)で いわし1kg(約10尾 250〜300円)とほぼ同じです。

右の写真は3ヶ月前に、サンパウロ郊外の街道にある焼肉レストランで見つけた ポルトガルいわし(輸入)の塩焼き。ブラジル食のレストランで いわしの塩焼きを見たのは初めてです。1尾で 120〜130円
おろし大根はもちろんありません。(ブラジル)レタスが敷いてあります。頼めば醤油を出してくれまが、こちらでは、たまねぎ、トマト、サウサ(ブラジルのパセリ)などのみじん切りをオリーブ油と酢に漬けたドレッシングをかけて食べるのが普通です。
1ヶ月後に再度行ったときには、ポルトガルいわしではなくて近海もののような、太さ3分の2くらい油っけの少ないいわしでした。値段は同じ! 。

2006-06-14 我が家の犬 しろちゃん

 
昨日、W杯 ブラジルxクロアチア戦開始前、花火(爆竹)がポンポン上り始めて、首にブラジル国旗をつけた しろちゃん---いやぁーな予感?---

しろちゃんは花火が大きらいです。普段は玄関から奥に入れませんが、毎年、クリスマスイブの夜、大晦日の夜、時計の針が0時を回るとき。それと、サッカーの大試合で(必ずテレビ中継があります)地元チームがゴールしたとき、勝ったとき。台所の食卓の下でガタガタ震えて過ごします。
ブラジルは 1−0 で勝ちました。 しろちゃん、大量点が入らなくて良かった。

上の2件は、blog からのコピーしたもので、編集はしていません。

 


6月14日(水) 休眠から目が覚めました。トップへ

休眠中です

2006年1月1日

あけまして おめでとうございます

しばらく ご無沙汰いたしました。このページ「雑記帳」への書き込みがひと月半 滞ってしまいました。

 

11月15日(火) いつかきた道

広島・長崎の原爆記念日の間に、衆議院解散。9月11日総選挙で自民圧勝。憲法改正論議が加速。首相の靖国神社参拝。改憲に傾く?前原社民党。安部官房長官・麻生外相で第3次小泉改造内閣発足。在日米軍再編に合意

戦後60年。今年は例年になく、東京大空襲、沖縄戦、原爆から、中国残留孤児など戦争の痛みを顧みるテレビの番組をたくさん観てきました。想いは、日清・日露戦争以来、どうして大戦に至ったのか。戦いの行方は1年前に決まっていたのになぜ続けたのか。再びこういう時代にならないのだろうか・・・

リンク・お気に入りサイトに、戦争と平和にかんするものを追加しました

  

 

10月17日(月) あきれたしまう小泉首相、5回目の靖国神社参拝

「たかお・サンパウロ」では、首相の靖国神社参拝に反対してきました。その理由は、第一、憲法上の政教分離の問題。万世一系の天皇制とのかかわり。
第二、靖国思想の復権の問題。「お国のために」、「国家」を優先する復古調。
第三、歴史認識の問題。近隣諸国との関係。近代日本が歩んできた道。
これらの問題について、日本が「いつかきた道」に戻りそうな風潮を強く感じるからです。 ===> 新聞社説 表題一覧 

  

 

10月16日(日) 夏時間が始まりました。去年は11月2日から

夏時間で日本との時差が13時間になります。
1931年に始まったブラジルの夏時間は今年32回目

第17回 ドレミ音楽会が無事に終わりました。「療育音楽」をしていない「こどものその」は、参加しませんでした。代わって、8月から始めたばかりの、APAE Garulhos(養護学校)が参加しました。今年は例年になく、保護者の参加とお客様が多くて用意した椅子はほぼ満席でした。

来賓として、西林万寿夫サンパウロ総領事ご夫妻がみえて、ご挨拶をいただきました。中休み、面を付けた面白可笑しい及川さゆりさんの舞踊や、木下節夫太鼓グループが演じる力強く歯切れのよい太鼓演奏に盛大な拍手。

3施設の5グループ、13曲。日頃のセッション以上に楽しく演奏ができました。14曲目、子どもも大人も、全員が両手にショッカーリョを持って歌う「ドレミの歌」で盛りあがりました。閉会のあいさつに続いて別れのダンスを踊り、最後は全員で大きな輪を作り「別れの歌」を歌い、無事に閉会。来年の再会を約して家路につきました。

 

 

9月30日(金) サンパウロ州立交響楽団の演奏会

 Lior Pesek

Valentina Lisitsa

ばあちゃんと孫、時15分に家を出て
サーラ・サンパウロへ。
サロンで軽食とコーヒー。
0時15分に帰宅。気温20℃ 晴れ。

 

演 目 (21:00〜22:50)---- 指揮リボル・ペシェク(チェコ)

マルロス・ノブレ
   Kabbalah, Op.96  (2004年)

セルゲイ・プロコフィエフ
   ピアノ協奏曲 第1番 嬰ヘ短調
Op.1
  演奏:ヴァレンチナ・リシッツァ(ウクライナ)

モーツァルト
   交響曲第41番ハ長調  K.51 「ジュピター

 

 

 

9月 23日(金) サンパウロ州立交響楽団の演奏会

ばあちゃんと孫。孫は初めてのコンサート。
ばあちゃんは7時00分に家を出て、孫は学校の帰り、
最寄りのメトロの駅で落ち合ってサーラ・サンパウロへ。
サロンで軽食とコーヒー。
11時50分に帰宅。気温20℃ 晴れ。

John Neschling

演 目 (21:00〜22:50)---- 指揮John Neschling

Radamés Gnattali
   Brasiliana No. 1

ベートーヴェン
   交響曲第5番ハ短調  Op.
67 「運命
  

ベートーヴェン
   交響曲第7番イ長調  Op.92

 

  

9月 2日(金) サンパウロ州立交響楽団の演奏会

 Cláudio Cruz

五島みどり

時35分に家を出てサーラ・サンパウロへ。サロンでスープとコーヒー。
11時45分に帰宅。気温17℃ 晴れ。

 

演 目 (21:00〜22:50)---- 指揮Cláudio Cruz

マルロス・ノブレ
   Kabbalah, Op.96  (2004年)

セルゲイ・プロコフィエフ
   ヴァイオリン協奏曲 第1番 ニ長調
Op.19
  演奏:五島みどり

ベーラ・バルトーク
   管弦楽の協奏曲

ニッケイ新聞 2005年9月07日(水)コロニア-ブラジル日系社会-ニュース
■全身全霊かけた演奏=五嶋みどり聖市公演西林万寿夫聖総領事

 

 

月31日(水) 新聞社説表題一覧」を始めて半年

・・・インターネットのほうは、日課として朝日、毎日、日経、読売の社説・コラムを収録しています。この順序は55年体制の価値基準で左から右ということになりますが、最近の朝日には物足りなさを感じています。
守旧的な読売の姿勢は私にはなじまないのですが、何がどのように私のものの見方と違うのかを具体的に指摘するための資料として保存しています。・・・

(2004年3月9日付 友達からのメールへの返事)

・・・ 3月9日に書きましたが、朝日と読売の違いを示す格好の例が出ました。
昨日の読売の第1社説「国旗・国歌――甲子園では普通のことなのに
昨日の朝日の第2社説「国旗国歌――起立せずで処分とは
今日の朝日の第2社説「社説――比べて読めば面白い

4月 2日(金)  昨日の続き。
先ず、朝日と読売の「国旗・国歌」論争。・・・

(2004年4月1日 および 2日付 TAKAO−SP)

社説――比べて読めば面白い」 から1年。

3月 7日  「 教科書問題 驚かされた朝日新聞社説」
3月 8日  「 産経社説 こちらこそ驚いた」
3月 8日  「 朝日社説 本質そらしてはいけない」
3月10日 「産経社説 「封殺」の意味をご存じか」

この、いわゆる「歴史教科書問題」をめぐる産経の議論の応酬を期に、産経の『主張』(社説)も毎日収録保存することにしました。
ついでに、5紙が取り上げる論調の表題を横に並べてみることにした次第です。続きは⇒こちら

 

 

8月26日(金) サンパウロ州立交響楽団の演奏会

Claus Peter Flor

Henrite Bonde-Hansen

時00分に家を出てサーラ・サンパウロへ。サロンでコーヒー。
11時45分に帰宅。気温25℃ 曇り。

 

演 目 (21:08〜22:50)---- 指揮Claus Peter Flor (独)

モーツアルト
   魔笛序曲 K620

リヒャルルト・シュトラウス
   歌曲 Freundliche Vision, Op.48 No.1/5 Lieder
   
歌曲 Waldseligkeit, Op.49 No.1/8 Lieder
   
歌曲 Muttertändelei, Op.43 No.2/3 Gesange
   
歌曲 Meinen Kinde, Op.37 No.3/6 Lieder
   
歌曲 Ständchen, Op.17 No.2/6 Lieder
   ソプラノ: Henrite Bonde-Hansen
(デンマーク)

チャイコフスキー
   交響曲第6番ロ短調  Op.74 「悲愴

 

 

8月12日(金) サンパウロ州立交響楽団の演奏会

Yoram David

Steven Isserlis

時30分に家を出てサーラ・サンパウロへ。
23時50分に帰宅。気温18℃ 晴れ。

 

 

演 目 (21:00〜23:00)---- 指揮Yoram David (英)

ドミトリー・カバレフスキー
   Cola Breugnon 序曲 Op.24

ウィリアム・ウォルトン
  チェロ協奏曲
  演奏:
Steven Isserlis (英)

セルゲイ・プロコフィエフ
   交響曲第5番 Op.100

 

  

月31日(日) 第3回 よさこいソーラン祭り 

第1回はブラジル日本文化協会記念講堂、第2回は州立イベラプエラ体育館、今回は本格的劇場「ヴィア・フンシャル」で開かれました。「アマゾンの読経」上映会のあと直行して、孫の出番「松柏・大志万」に間に合う。

  

昨年総合優勝したユバ・バレー、今年は2位

 

7月31日(日) 記録映像作家岡村淳さんのアマゾンの読経』上映会

Yahoo!グループ メーリング リスト 私たちの40年!!のメンバー対象

10時半から午後5時半まで昼食を挟み7時間、リベルダーデのレストラン「ぶえの」のミニシアターで、3部作全巻、岡村さんの解説付き上映会でした。

昨年の6月13日(日)「移民月間 県連日帰り旅行」 で訪れたスザノ市の高野山真言宗金剛寺に「富士見観音」があります。ここで、かって日本海外移住家族会連合会の初代事務局長であった藤川辰雄氏が建立された経緯を、ゆかりの方からた聞きました。藤川辰雄氏はアマゾンで日本人移民の無縁仏を巡礼中に消息を絶ったのですが、『アマゾンの読経』はその真相を追うキュメンタリー映画です。各地で上映会が開かれています。(Googleで「アマゾンの読経」を検索してみてください。)

上映会のあと、第3回 よさこいソーラン祭りへ

 

 

月15日(金) 第8回フェスティバル・ド・ジャポン日本祭り) 

昨年まではイビラプエラの州立会議議事堂前でしたが、今年は、動物園がある州立公園内の「サンパウロ州イミグランテス展示場」で開催されました。会場が広くなり、日本文化紹介コーナーの中央に設けられた小講堂で、第1日目にブラジル療育音楽ボランティア協会が、「療育音楽の紹介と、高齢者対象にセッションの実演をしました。

突然の誘いで展示物や案内の準備ができず、しかも平日で、どのくらいの来場者があるか心配でしたが、歌や楽器の音で人が集まり盛況で終わりました。

 

 

 

月 1日(金) サンパウロ州立交響楽団の演奏会

 

 

John Neschling

時30分に家を出てサーラ・サンパウロへ。サロンで軽食とコーヒー。
11時45分に帰宅。気温25℃

 

演 目 (21:00〜22:50)---- 指揮:John Neschling

アーロン・コープランド (アメリカ 1936)
  サロン メキシコ

エイトール・ヴィラ-ロボス (ブラジル 1926)
  ショーロ 第6番

  ガーシュインのラプソディ イン ブルー(1924)を彷彿させる

シルヴェスタ・レヴェルタス (メキシコ 1939)
  ロス・マヤ の夜  (13人のパーカッションは圧巻)

3曲ともに色彩豊かな管弦楽曲。ティンパニーは久しぶりのエリザベス デル グランデ。サーラ サンパウロの前、サン ペドロ劇場、その前のクーツゥラ サルチスチカ劇場時代(十数年以上前)からのティンパニー奏者。当時はユニフォームがなかった。女性奏者は、ハンドバックを舞台持ち込んで、足下に置いて演奏をしていました。

ショーロフルート、ギターなどからなる小楽隊が演奏する民衆の音楽的催し。
      そこで演奏される音楽。今夜の演奏は大編成の管弦楽。

 

 

6月25日(土) 劇団「新波」、第40回コロニア芸能祭で

竪川端暮秋(たてかわばたにくれゆくあき)4年ぶり6回目の公演

Foto: Y. Takao

初演は2000年、老人クラブ連合会創立25周年記念チャリティーショー。コロニア芸能祭では翌年2001年の第36回(第2日)以来2回目。出演の顔ぶれは大幅に変わりました。今年入団した、大工役の坂田さんも堂々の演技。公演スナップはこちら

 

 

大道芸リベルダーデ広場で

6月18日(土)  江戸糸あやつり人形

3年ぶり3回目のサンパウロ公演です。今回は単独公演ではなく、東京演芸協会 ブラジル・イグアス訪問団 の一員としての訪伯です。

 17日(金) サントス厚生ホーム慰問公演
 18日(土) リベルダーデ広場で大道芸(写真)
 18日(土) 日本ブラジル文化協会記念講堂
 20日(月) ユバ農場
 21日(火) ロンドリーナ文化協会(パラナ州)
 22日(水) アプカラナ文化協会(パラナ州)
 29日(火
) スザノ
 29日(水) 憩の園慰問公演

ニッケイ新聞 6月21日(火
■ほぼ「大入り」笑いの渦=東京演芸協会の文協公演

ニッケイ新聞 6月17日(金)
■ブラジルらしさ取り入れ浅草寄席公演
  =国内8カ所で=来伯4氏抱負語る

 

 

6月17日(金) サンパウロ州立交響楽団の演奏会

夕食後、7時30分に家を出てサーラ・サンパウロへ。
12時20分に帰宅。気温25℃

ヨアフ・タルミ

シルヴィア・テレザ 

 

演 目 (21:00〜23:10)---- 指揮:ヨアフ・タルミ

セルゲイ・ラフマニノフ
   練習曲集「音の絵」から
   (レスピーギによる管弦楽編曲)
    市場の風景 
Op.33-4
    赤頭巾と狼 
Op.39-6
    行進曲 
Op.39-9

セルゲイ・プロコフィエフ
   ピアノ協奏曲第3番  ハ長調 Op.26
   演奏: シルヴィア・テレザ

セルゲイ・ラフマニノフ
   交響曲第2番 ホ短調 Op.27

ティンパニーのおじさんも元気。

 

 

6月10日(金)  腰痛と胃痛、夫婦で休養中

今夜は州立交響楽団の演奏会へ行く予定でしたが休みました。やたろうは、先月22日の運動会のラジオ体操で、ぴょん ぴょん 跳ねるところがありますね。跳び上がろうとして 「ぴょん」 までいかない。「ぴょ」で、「くきっ」と腰に痛みが走り、このあと屈伸
動作がつらくなって、いまだに元気がありません。もみぢは、4月に胃が痛み、精密検査後、胃潰瘍の投薬治療。ほぼ同時に、背中に帯状疱疹ができて、胸と背中の痛みのサンドイッチで苦しんでいます。

 

 

5月22日(日)  「あけぼのホーム」で運動会

サンパウロ日伯援護協会 第3回高齢者施設合同運動会は、昨年と同様
前夜の激しい雨は止みましたが曇天18℃。お年寄りには寒い一日でした。

 「あけぼの」「スザノ」「サントス」「さくら」の4老人ホームと特別参加の「やすらぎホーム」が集まってあつまって10時に開会。心配された雨は降らず、ラジオ体操、競技、踊りなど、お年寄り、家族、ボランティア、職員、協会理事みんな元気で賑やかに昼食までの2時間半を過ごしました。

パン食い競争 玉入れ 仮装競争

   

 

  

2005年 5月21日(土)

昨夜サンパウロ州立交響楽団の演奏会に行きました。
7時15分に家を出る。サーラ・サンパウロで軽食。
12時15分に帰宅。気温26℃

 

演 目 (21:00〜23:10)---- 指揮:フランク・シップウェイ

リヒァルト・ヴァーグナー

   「ニュールンベルクの名歌手」序曲

ドヴォルジャーク   チェロ協奏曲  ロ短調 Op.104
   チェロ アンヌ・ガスティネル

エドワード・ エルガー
   「謎」の変奏曲 Op.36

堂々と、壮大に、力強く響いて始まる聞き慣れた曲。まず、聴衆を圧倒。
ティンパニーのおじさんも元気。

二番目の曲。低い弦楽と木管が繰り返す主題。のびのびとのどかにかなでるホルン。どこか『新世界より』のような郷愁を感じさせる管弦楽がやがてとぎれて、深い音色の独奏に入る。1690年製のテストーレからでる弦の音が驚くほど豊かだ。
クラリネット、フルート、ホルンが良い。コンサートマスターとチェロの重奏も見事。

ラジオ、LP、テープ、そしてCDで聴き親しんできた曲。生演奏でなければ味わえない感動。至福のひとときでした。

 

 

2005年 5月 9日(月) クラシック音楽、管弦楽曲の案内書

老人ホームでの療育音楽には、昔なつかしい歌謡曲をたくさん使います。まだ手許にない曲を、インターネットで探すのもしばしばです。また、ブラジルでもテレビでNHKが見られるようになってからは、毎週、「のど自慢」や歌謡番組があるのでよく聴くようになりました。

ブラジルに来るまでは、家で聴いていた音楽は、ほとんど、LPレコードと、FMラジオの番組を録音したカセットテープで聴くクラッシックの管弦楽曲でした。N郷アワーなどのビデオテープも少しありました。

私(やたろう)がクラッシック音楽を聴き始めたのは中学生のときです。1年生のとき(1947年)、同級生と3人連れで、当時は汽車で佐賀から約2時間かかった福岡市に、小学の同級だった友だちを訪ねたことがあります。

映画館にも入りました。佐賀よりも早い封切館で、アメリカ・ミュージカル映画、ジーン・ケリーとフランク・シナトラ出演の「錨を上げて」を観ました。ハリウッドの屋外舞台で、『ハンガリア狂詩曲』を20台ものピアノ連弾のシーンは、いまでもはっきり脳裏に残っています。

中学2年生のころから、復員してきた若い将校さんが、隣の家にラジオの部品屋さんを開いたこともあって、ラジオ作りに夢中になりました。作ったラジオでよく音楽放送を聴きました。NHKが第1、第2放送を使ってステレオ放送をしたのはこのころで、古いラジオを第1に、自作のラジオを第2に合わせ、左右に並べて聴いていました。

ディズニー映画の「ファンタジア」は、立体音響アニメーション映画で、レオポルド・ストコフスキーが指揮するフィラデルフィア交響楽団が次の8曲を演奏しています。

 

    バッハ 『トッカータとフーガ』、 
    チャイコフスキー 『くるみ割り人形』、 
    デュカス 『魔法使いの弟子』、 
    ストラビンスキー 『春の祭典』、 
    ベートーベン 『田園交響曲』、 
    ポンキエルリ 『時の踊り』、
    ムソルグスキー 『はげ山の一夜』、
    シューベルト 『アベ・マリア』

ヴィットリオ・ガスマンとエリザベス・テイラー出演のアメリカ映画「ラプソディ」は、
    チャイコフスキー 『バイオリン協奏曲』
    ラフマニノフ 『ピアノ協奏曲第二番』
を主題としたドラマでした。

高校時代からラジオを聴き「ながら族」でした。いつ、誰が作曲した何という曲を聴いたか、専用のノートに書きとめていました。ページがかなり埋まったころ、属啓成著『名曲の事典』(1954年11月音楽之友社発行)を見つけて買い求めました。古典のヴィヴァルディから現代のブリテンまでの作曲家120人を年代順に、その管弦楽曲をやや専門的に解説したものです。

1956年に、『名曲の事典』よりもポピュラーな、
新書版『名曲の案内』上、中、下が音楽之友社からでました。いまでもよく使っています。

    構成は『名曲の事典』とほぼ同じ(民謡は国別)。

    上 交響曲、歌劇の序曲などの管弦楽曲
    中 協奏曲などの管弦楽曲およびソナタ
    下 オペラ、歌曲、民謡 ----- オペラ観劇には格好の案内書です。

 

 

2005年 5月 5日(木) こどもの日社説

朝日 -- 親の汗で遊びを教えよう

毎日 -- 人生は失敗の山を築くごとし

読売 -- 次の世代に『大きな未来』を

産経 -- 表記は「子供」が望ましい

「子ども」

「子供」

「子ども」

「子供」

「こどもの人格を重んじこどもの幸福をはかるとともに母に感謝する日」
法律上の正式な呼び方はは1948年の「国民の休日法」制定当初から「子供」を平仮名で書くことになっています。

一般に「こども」、「子ども」、「子供」の書き方はまちまちのようです。私は「子ども」を使っています。「私共」「私達」も同じように「私ども」「私たち」と書いています。

いつ頃から「子供」を使わなくなったかは思い出せませんが、意識して「子ども」を使い始めたのは1974年の夏です。長男が小学4年生、次男が保育園年長児でした。保育園卒園児の親たちの働きかけでできた市立の学童保育所は小学3年生までしか入ることができませんでした。

学童保育所を出された子どもたちの放課後を心配する親たちが相談して、
子ども会
を作ることにしました。数人の子どもたちが集まって始めた
   多摩平
木の実子ども会 その親たちの会は多摩平木の会
   木の実の子どもたちのサッカーチームは「どんぐり
   絵本の読み聞かせの会は「くり文庫
この子ども会の「お知らせ」「ニュース」などに「子供会」ではなくて「子ども会」を使うことにしたのです。1980年、私ども一家がブラジルに来た後もこの子ども会はしばらく続いたようです。サッカーの「どんぐり」は今でも健在です。

 

 

2005年 5月 3日(火) 憲法記念日

このところ、改憲論議が活発になっています。将来の日本をどのような国にするかをめぐって、いろいろな人や団体がそれぞれの立場や生き方、考え方で、現在の憲法が現状に合わないと思っているところを直したいという論議です。

今の憲法がいつ、どのようにしてできたか。その後、この憲法のもとで私たちはどんな国造りにかかわり、どんな暮らしをしてきたかをひとりひとりが振り返って考えてみたいものです。論点の一つは「戦争放棄」です。

いま手元に「あたらしい憲法のはなし」(1972年復刻版)があります。とても解りやすくて、いま読んでもとても新鮮な内容です。もとは、文部省が1947年(昭和22年)8月に発行して、私たち全国の中学1年生の教科書として使われたものです。B4判約50ページの小冊子でした。

敗戦後、ほとんどの日本人が食べるもの、着るもの、住む家に不自由をしていましたが、戦時中の重苦しい生活から解放されて、戦争で苦しい思いをしてきた多くの人たちにとっては希望と明るさがいっぱいでした。

しかし、1950年に始まった朝鮮戦争で、日本は米軍の基地となりました。日米安全保障条約が結ばれて、「警察予備隊」が「自衛隊」に変わっていくにつれ、この教科書は使われなくなってしまいました。以後、日本は東西の冷戦の中、軍需景気をきっかけに「経済大国」への道をまっしぐらに走り続けました。「ベトナム戦争」でも日本は米軍の総合基地の役割をしました。日本が戦争に荷担するなかで、反戦・平和を守る運動は抑圧されてきました。教育の場でも。そして「自衛隊」は着実に強化されてきました。今や、日本は「軍備大国」になってしまいました。
もう一度、憲法第9条をよく読んでみましょう。

「自衛権」という考えを盾に、軍備を持とう、「防衛庁」を「省」に昇格させよう、憲法を変えて「国軍」を持とうという論議が盛んです。これは「戦争」を認める考えです。「自衛」であろうが、「侵略」であろうが戦争は戦争です。仕掛ける方も仕掛けられる方も政治家、軍の首脳、陰で戦争を操るひとたちは常に安全地帯にいます。被害者は、戦費を負担する納税者を含めて一般市民と、かり出された兵士たちです。得をするのは決まって兵器を造る会社と勝った方の権力に庇護された企業群です。

戦後60年、直接に戦争に巻き込まれたこはありませんでしたが、「戦争」とのかかわりは持ってきました。事があるたびに「憲法」がひきあいにだされました。しかし”世界に誇るべき”「平和憲法」を守ろうという力がはたらいて、がなく平和が保たれてきたと言えるでしょう。しかし「戦争を忘れる」ことは、とても怖いことです。戦争に巻き込まれる危険がそれだけ大きくなります。「平和憲法を守る」力が弱くなってはいけません。次の世代に戦争を語り継ぐさまざまな動きがいつまでも続くことを祈ります。NHKさんも頑張って!

昨年の4月1日に朝日新聞社説社説--比べて読めば面白いを紹介しました。インターネットのおかげで、その日のうちに幾つかの新聞の社説を楽に読むことができます。このホームページに、今年3月からの、朝日・毎日・読売・日本経済・産経 5紙の社説の一覧表を加えました。

 

 

2005年 4月29日(土)

サンパウロ州立交響楽団の演奏会に行きました。
7時半に家を出て、12時に帰宅。気温19℃

演 目 (21:00〜23:20) ----- 指揮:Cláudio Cruz

アントニオ カルロス ゴーメス

   「マリア トゥドール」序曲  1878 (小編成)

   ゴーメスはチャイコフスキーとほぼ同年代のブラジル人

ショパン   ピアノ協奏曲 第2番 へ短調 Op.21

   ピアノ ピョートル・アンデルジェフスキー

   アンデルジェフスキーのリサイタルが9月27日東京で。

ジョゼ アントニオ デ アルメイダ プラド
   交響詩「オリシャス」 1984-85 (大編成 演奏時間 50分)

ホールの木製ブロック天井

アルメイダ プラドは1943年サントス生まれの作曲家。「オリシャス」はアフリカから連れてこられた黒人奴隷が信仰する神々。ボンゴの打楽で始まる。

舞台の左右、奥から交互に聞こえる金管の調べ。やがてそれぞれ6本の金管が吹奏しながら入場する。
様々な音色のパーカッション。
(8人構成)
鳥のさえずり。水の音。
主ティンパニー(John Boudler)は和太鼓を思わせるような華麗な演奏(演技)。
20章から成るアフロ・ブラジリアンの壮大な交響詩。

 

 

2005年 4月25日(月) 尼崎の大惨事!

亡くなられた方のご冥福をお祈りし、
負傷された方々の一日も早い全快をお祈りいたします。

今回の事故は、発生後10時間経った現在、まだ乗客の救出作業が続いている段階で、事故の原因を云々できませんが、次の二つの事故が思い出されます。
  2003年10月名古屋鉄道新岐阜駅(現岐阜駅)でのオーバーラン事故
  2000年 3月営団日比谷線中目黒駅構内で起きた地下鉄事故
あと一つ、先ほどのNHKてれびのニュースで、線路上に石を轢いた跡があって、置き石の可能性もあると言っていました。

日本の首都圏や、京阪神地区の過密な鉄道網と、サンパウロの鉄道とを単純に比較をするのは無謀とは思いますが、サンパウロの場合、まず、踏切がありません。次に、線路の両側には塀をめぐらして線路内に人は簡単には入れません。

日本の都市の場合、それだけ「安全」に対して細心の防御策が要求されるのではないかと思いますが、現状はどんなものでしょうか。事故調査の結果と改善策が待たれます。

 

 

2005年 4月24日(日) 「栗色の地毛にスプレー」 その2

4月9日(土)に書いた 「今年いちばん憤慨したこと」を読まれた方から
 「日本の教育界は荒廃しています」というメールをいただきました。

新聞記事と、宮城県立蔵王高校・県当局あてに送ったメールを記載したページにこのメールを追加しました。ご覧あれ

昨年、日本にいる小・中・高校の同窓生から「教育をひどくしたのは日教組だ」とのメールを、また同じく別の小・中学の同窓生からは、つい先日、日中首脳会談のあと、「対中韓非難」と「靖国参拝問題」についてのメールをもらいました。

5月3日は「憲法記念日」。今年の8月は終戦60周年の暑い夏。
意見の異なる友だちとのメールの交換をしながら私自身の思い、考え方を整理してみようと思っています。

 

 

2005年 4月21日(木) 今日は チラデンテスの日

ブラジル独立の殉教者「チラデンテス」(本名 ジョアキン・ジョゼ・ダ・シルバ・シャビエル 1746〜1792)が処刑された日で国の祝日です。

以下、1997年4月23日付け サンパウロ新聞 社説 ”春夏秋冬”
チラデンテスってだれ?」の一部です。

ブラジルの独立(1822年)に先がけた1789年、ミナス・ジェライス州に起こった独立運動はチラデンテスの事件としてあまりにも有名である。

その主役を演じたジョアキン・ジョゼ・ダ・シルバ・シャビエルはやせて背が高く、抜歯と歯の治療を特技としていたため若い頃からチラデンテスのあだ名で呼ばれていた。
(チラ はポルトガル語で「抜く」、デンテスは「歯」のこと)

ポルトガル人の子孫で白人であることから、1775年30歳の彼は軍隊に入って間もなく、ポルトガルに送る金(きん)をリオ・デ・ジャネイロに運ぶ街道の警備隊長となる。

当時、ポルトガルの本国は、新大陸での鉱物の発掘と、産物の本国移送に集中し、ブラジル国土の改良にはまったく意を注がなかった時代である。そのため土地は荒廃し、貧困にあえぐ民衆の姿を、若い士官チラデンテスは目のあたりに見ていたのだ。

1778年リオに旅行した彼は、ヨーロッパ留学から帰国したばかりのジョゼー・アルバレス・マシェルと知り合い、ヨーロッパの新しい革命思想を伝えられ、ポルトガル本国の不法、搾取に対する反感を通じて、この二人はたちまち同志的友情を固め、自由独立への希望を語り合った。

ビラ・リッカ(現在のオウロ・プレット)の鉱山はすでに掘りつくされ、ポルトガル本国が要求する金を引き渡すことは、もはや不可能な状況で、このために新しい課税を布告して、個人財産まで供出しなければならなくなるだろうといった事態にまで追い込まれていた。

 (中略)

このポルトガルの支配から脱して国を自由化しなければならない・・・・・と言う思いに駆られたチラデンテスを中心に独立運動の組織が生まれることになる。

 (中略)

ところが、まだ準備が整わないうちに、3人の密告者が出て、一時はみな逮捕されてしまった。チラデンテスはリオへ出て同志を糾合しようとしているときに捕らえられた。やがて全部はリオへ送られることになった。

 (中略)

主な12人は死刑、その他は流刑という判決が下されたが、刑が宣告された翌日、多くの者が死刑から無期へ、無期は流刑に減刑された。だが、ただ一人チラデンテスは女帝マリア1世から死刑執行が命じられた。

1792年4月21日午前6時、リオ・デ・ジャネイロのサン・ドミンゴス広場に二人の神父にともなわれ、100人の兵士に囲まれたチラデンテスが到着した。死刑が執行されたのは午前11時。「私は自由のためにいさぎよく死ぬのだ」― これがチラデンテスの最後の言葉である。

チラデンテスに対するポルトガル政府の憎しみは想像以上で、その死体は斬首され四肢は切り離されるという無残な処置をされた。

 (中略)

だが、彼の生命は刑場の露と消えたが、彼が残した独立運動の火は消えず、やがてブラジルの独立へと結びついたのである。

ブラジルの独立は1822年だから、それより30年前の出来事であった。

 

当時の編集主幹 

内山勝男さんが書かれたもの 

 

【補足】 4月9日に書いたことについて。

長男が高校に入ったとき革靴を履いて来るようにと言われたけれどもスニーカーで通したのは、@汗で蒸れやすい、A成長盛りで直ぐに買い換えをするのがもったいない、通学にも校内用でいいのではないかという理由からでした。

他にもうひとつ、衣替えの日までは制服の上着を着ることになっていて、5月ごろの暑い日に袖をまくり上げていたのを先生にとがめられたことがありました。母親が、暑い日に無理に上着を着ることはないのではないかと先生に話しに行きました。

 

 

2005年 4月19日(火) 「我が家は100%日本食」 焼き魚

 

冷凍していたイワシを塩焼きにしました。先月のイワシ漁解禁でこのところ新鮮なイワシが食べられます。マイワシは見たことがなく、ウルメイワシに似たものを売っています。

こちらでは、肉類・魚介類はキロ単位で買いますが、大きいもので20cmぐらい。キロ10尾前後で250円です。

ブラジルには、日本風に網で焼く習慣がありません。こちらに来た当時、アパートで焼き魚をすると周りの人から苦情が来るので気をつけるように言われました。日本人の魚屋さんに輸入サンマさんまが入ることがありますが、網焼きをするには苦情覚悟で焼くしかありません。

今我が家で使っているコンロは煙を出さないグリル付きで、日本から持ってきたのものです。(写真 上)

ブラジルの家庭ではたれをつけて焼く肉や魚の料理、ラザーニャなどのパスタ、ボーロなどの菓子類を好むので、コンロの下に天火が付いている4つ口または6口のコンソールタイプのものが多く使われています。(写真 右)

 

 

2005年 4月16日(土) ユバのホームページを見ました。

6月20日に弓場農場「テアトロ・ユバ」で、
日本伝統芸能「江戸あやつり人形」上條 充一座の公演
があります。
2000年6月と、2002年9月に、サンパウロ リベルダーデ広場の街頭公演と文化協会記念講堂での公演を見ました。

6月は、恒例のコロニア芸能祭があって、劇団「新波」(あらなみ)の公演準備のために片道8時間かかる弓場までは行けそうにありません。問い合わせをしたところ、弓場での公演の前後に、サンパウロでの公演があるとのこと。楽しみにしています。

 

中国各地で「反日デモ」が荒れています。中国側の責任および対応に問題があるのは明らかですが、この問題をどのように解決していくか、日本側で考えるべきことは何でしょうか。「経熱政冷」と言われる日中関係のみならず、日韓関係にも、背景に「歴史認識」「靖国」の問題があることは確かでしょう。

また、「たかお・サンパウロ」で昨年10月に取り上げた「国連安保理常任理事国入り」の問題もでています。近隣諸国からの信頼を欠いたままでの日本の安保理常任理事国入りは難しいと思います。信頼を得られていないのは、60年たっても日本の「戦後処理」が終わっていない。不十分であるからでしょう。

1995年8月15日の「侵略と植民地支配によってアジアの諸国に損害と苦痛を与えたことに対して反省し、お詫びする」という村山談話は、その後の歴代の内閣が近隣諸国との外交問題を処理するときに政府見解として表明されてきました。しかし、大臣や国会議員など政治家の中には、村山談話の精神に反するような言葉を(思わず)発することがいまだに絶えません。ここの発言の背後にはそれを支持する人たちがそれだけいると言うことです。「みどりの日」を「昭和の日」に変えようとする動きにも同じことを感じます。

日本が安保理常任理事国に入るに足る近隣諸国からの信頼を得るまでには、まだまだ長い年月がかかるような気がします。

 

 

2005年 4月 9日(土) 今年いちばん憤慨したこと

「地毛を染めるよう強要された」 元県立高校生徒が提訴 (asahi.com)
栗色の地毛にスプレー、退学した16歳が宮城県を提訴 (YOMIURI ON-LINE)

午後、帰宅一番に開いた asahi.com に「地毛を染めるよう強要された」記事が目に入りました。ほかの新聞では?と、日本経済、毎日、読売、産経を見てみると、YOMIURI ON-LINE だけに見つかりました。

次に、宮城県立蔵王高校と宮城県教育委員会のホームページを探しました。

http://zao-h.myswan.ne.jp/ http://www.pref.miyagi.jp/kyouiku/

県教育委員会のホームページに「訴状の内容を見た上で適切に対応してまいります」という県教育長の簡単なコメントがありました。

今後、この裁判になるでしょうが、この子の気持ちを考えると居ても立ってもいられない気持ちになって、学校、教育委員会、教育庁、県知事あてのメールを25年前のことを思い出しながら書いてしまいました。

・・・・・家族でブラジルに来た年の4月に、長男はある都立高校に入りましたが、生活指導の先生に髪が長くて耳を覆っているから切るように言われていました。母親は耳の上の髪だけを切って通わせました。また、登校には革靴を履くようにとのことでしたが、父親(私)は運動靴(今のスニーカー)がなぜだめなのかと先生と掛け合って革靴は買いませんでした。先生方は、どうせ半年後にはブラジルに行ってしまう子だからと思っていたかどうか知りませんがそのまま押し通しました。後年、「あのあと、いつも先生から見張られているような気がして、悪いことができなくて大変だったんだぜ」と息子は述懐していました。・・・・・

蔵王高校で「地毛を染めるよう」強いたことは、息子の場合とは全く次元が違うことでしょう。そんなこと絶対に許されるべきことではないと思うのですが、まだあるのですね。

>> 新聞記事と送ったメールはこちら

 

 

2005年 4月 4日(月) 遅い夏、サンパウロは連日夏日です

昨年の6〜9月にブラジルに来た23歳の青年からメールをいただきました。
写真入りのブラジル旅日記をホームページ『フォホー飯島のブラジルの空』で見ることができます。これを「たかお・サンパウロ」で紹介して欲しい(リンクをはる)と言うのがメールの趣旨でした。

「やりたい仕事というのが野生動物の保護活動なんです。」だから、学校を卒業したらブラジル アマゾンに行きたいとのことです。

>> いただいたメール と それに対する返事はこちら

 

 

2005年 4月 3日(日) ブラジルはカトリックの国

1960年代 90%以上だったカトリック教徒は、現在70%位になっています。(プロテスタントが5%以下から15%以上に。)それでも世界一カトリック教徒が多い国で、1億2千万人を越える信者がいます。
ヨハネ・パウロ2世の死を悼んでブラジルは1週間の喪に服します。

ローマ法王の選挙が ”根比べ”だとは知らなかった。

 2005年4月4日付け朝日新聞朝刊・総合面より

コンクラーベ> 「鍵で閉められた場所」の意味。バチカンのシスティーナ礼拝堂で、今回は80歳未満の117人の枢機卿が投票で次の法王を選ぶ。決定には3分の2以上の票が必要で、決まるまで毎日2回投票される。

 枢機卿らは外部から隔離された缶詰め状態に置かれ、投票の結果は礼拝堂の煙突から出される煙で外部に知らされる。決まらないと黒い煙、決まれば白い煙が立ち上る。

 13世紀に法王選びに2年以上かかり、住民が枢機卿らを選挙会場に缶詰めにして早く決めるよう求めたのが始まり。

 

 

2005年 3月26日(土) 聖週間で昨日から連休

昨夜、先々週に続いてサーラ サンパウロへ
サンパウロ州立交響楽団の演奏会に行きました。
7時半に家を出て、12時に帰宅。気温19℃

演 目 (21:00〜23:15) ----- 指揮: John Neschling

チャイコフスキー   イタリア綺想曲 Op.45  壮大華麗

ブラームス   ハンガリア舞曲 第1,3,4,10,20 番 木管がよい

ブラームス   交響曲第2番ニ長調 田園 Op.73 目で聞くティンパニー

アンコール ドビュッシー   影像 第3集の第2曲 イベリア 感傷豊かな熱演

来週、再来週、27(日)〜9日(土)の2週間、州立交響楽団は演奏旅行に出かけます。
ブラジル南部の3州都クリチバ、フロリアノポリス、ポルトアレグレと、アルゼンチン(ブエノスアイレス、コルドバ)、ウルグァイ(モンテビデオ)、チリ(サンチャゴ)の4都市。
4月のサーラ サンパウロでの演奏会は14日から。

 

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2006-02-26 カーニバルの朝(黒いオルフェ)

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2006-01-01 一月一日(年の始めの)

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2005-01-01 一月一日(年の始めの)

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2005-07-14 知床旅情(世界自然遺産に登録)

2005-05-21 夏は来ぬ

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2004-05-01 鯉のぼり

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ブラジルのこと

------  1999年8月25日  訪日中のもみぢから のメール  -------

お願い。
6年生の悟音の「夏休みの自由研究」にブラジルのことを調べたら?
ということになったのだそうです。

お忙しい所、申し訳ありませんが、ブラジルについて調べてください。
「ブラジルの面積」「人口」「州はいくつ?」等々です。
その他、こんな事は?と思われる事がありましたら、お願いします。

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悟 音 くんへ(1)    1999年8月25日

悟 音 くんへ(2)    1999年8月26日

悟 音 くんへ(3)    1999年8月28日

悟 音 くんへ(4)    1999年8月29日

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